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PAGE 4箱根八里は馬でも越すが 食べずに通れぬ 小田原かまぼこ

「エーッサ、エーッサ、エッサホイサッサ、お猿の駕籠屋(かごや)だ、ホイサッサ。」どなたも、この歌はご存知でしょう。小田原名物、小田原提灯と蒸しかまぼこ。 江戸時代、箱根に向かう湯治客や東海道を往来する旅人、参勤交代の大名たちは、小田原の白いかまぼこを食べるのが道中の楽しみでした。東海道中膝栗毛の弥次さん、 喜多さんも、小田原の宿でかまぼこを食べたかもしれません。長い間かまぼこは高価なぜいたく食品で、庶民には縁の遠いものでした。

大衆食品になったのは、明治35年ごろ、動力によるかまぼこ製造機械が発明されてからです。発動機つき漁船の底引網漁業や遠洋漁業の発展で、 原料魚の大量入荷が可能になったことも、かまぼこファンに幸いしました。

かまぼこは我が国の水産加工食品の中で上位の生産量を誇り、日本人が摂取する動物性タンパク質の供給源ともなっています。そして、海外でも少しずつ見直されてきています。